できごとけいけん
Creation
Kenta Nakamura
"Contrasts and Vivid Images"

Creation

Kenta Nakamura
"Contrasts and Vivid Images"

写真家 中村健太、写真に漂う放心と無邪気。

  • published on
    3 Feb 2019
  • photographer
    Kenta Nakamura
  • article, editor
    Shinji Sadamatsu

世界に数多存在する写真家、評論家の類、或いは、只の鑑者さえも、写真機の発明以降…、所謂、図像の保存が可能となって後、今度は「写真とは何か?」と含哺鼓腹の如き問いを見附ては、彼是、定義しようと試みてきた。影を吹き塵に鏤むとはこの事である。然るに未だ、相応の答は解き明かされて居らぬ。そのお蔭なのか如何かは解らぬが、我々は写真芸術の遊技を一緒になって戯れるのを楽しんでいる。到頭、その応えが出無いことを殊更に願う秤である。
また、写真は、屡々、何か重大な出来事を示すかの如くその図像を現し、作家の真摯な問いかけであるかの如く、提示されるが、其れは写真が有している多義の中の一意に過ぎぬ。だから重要な出来亊を取り上げるのが写真なのだと錯覚してはいけない。ルネサンスの巨匠レオナルド、ダ、ヴィンチが弟子に告げた言に、あの鐘の音を聴け、鐘は一つだが、音はどうとも聴かれる、とある。写真とは正にその音色の如く、千差万別に見分けられる亊を前提として観なければならぬ。従って万物を、悉く大自然の点景として描き出されたものと仮定して、よくよく取り熟して眺めてみよう。眺め乍ら写真の発する声に耳を傾けよう。芭蕉という男は馬が枕元へ尿するのをさえ風流な事と見立て俳句にしたと聞いた。其れだから、芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。

●写真上・右:シリーズ「ケイコとロロと亀」。中村が勤務するフォトスタジオ 株式会社ロブジェ代表、通称、〝エースケさん〟の祖母とインコのロロ、そして、家の壁に飾っていた〝剥製〟の亀を連写した作品。畳にタオルのようなものを敷いて、祖母がその上でセクシーポーズをキメている。〝老女モデル〟は中村の作品によく見られるモチーフである。また、この作品では奇抜な色彩も大きな役割を果たしている。目が醒めるような紅白のニット、薄いモスグリーンと紅白の花柄エプロン。目線がカメラを向いているのも、エキセントリックな雰囲気を一層強めている。

中村の写真にはこれといったスタイル(様式)がない。「撮った日時、場所もあまり重要でなく、そこで何が起こっているかという事実を正確に伝えるより、ストリートスナップ、ドキュメンタリー、セットアップなどの手法をミックスした状態で、見てくれる人がどういうふうに感じるか、そのための曖昧さとか余白を与えたいと思っている」と中村は語る。積極的にフラッシュ光源を使った作品が多く〝自然光で、お洒落で、いい感じ〟といったウケの良い写真は、僕が知る限り中村の作品には殆どないかもしれない。

写真上:シリーズ「スノー・シルバー」。中村の祖母に白雪姫の衣装を着けてもらい、コスプレと〝お茶の間〟という日常とのギャップが楽しい作品。おそらく、長時間コスプレ状態が続き、ドレスを着ていることすら意識しなくなった状態で撮影に臨んだものだと推測される。確かにある意味において老婆のコスプレは鮮烈ではあるけれど、これはそんな単純な話ではない。ドレスを身につけていることすら忘れてしまったかのような祖母の自然な佇まいが、容易には拭えない「作為」を浄化している。そこが尋常ならざる気配を醸している点であり、この作品を成立させているものの「正体」である。こういう写真は、撮ろうと思っても、誰でも撮れるものではない。

 

 

●写真右:ねっとり飴色の干しダコを夕日に翳しただけの写真なのだが、干しダコの美しさにうっとりしてしまう。肌合い滑らかに、緻密に、半透明に光線を受ける具合、有機的な造形美…。だが、主題が不細工な干しダコであることの「間隙」が面白い。中村の写真にしばしば見る「間隙」の妙は、双子の写真にも共通していると思う。●写真上:赤いチェックの傘、中村の父が着ている赤のアンダーアーマー、そして、鬼灯の赤がトントンと韻を踏んでいる。そこへ雨が滲んで、独特の質感を醸し出している。見惚れてしまうほどの肌理と質感、そして、美しい赤である。これも干しダコ理論と同様、鮮烈な赤は、むさ苦しい双子のオヤジという、凡そ美しさとは真逆の存在が絶妙な「間隙」を産んで、作品の印象を一層強めている。美を知覚する感性とは、何と許容の広い器官だろう。

 

 

 

●『MISTUGETSU (2012〜)』シリーズ。近所に住む普通のおばさん(赤の他人)=小田さんを2012年ごろからコンスタントに撮り続けている。今や中村のライフワークとも言える。回を重ねるごとに小田さんは、中村が捉える「被写体」という枠から、中村が注文や指示を出さなくてもカメラの前で演じる「モデル」へと開眼している。上下写真は一泊二日の撮影旅行に出かけた際のショット。将来的には、小田さんの裸体との対峙….「ヌード撮影」の可能性もあるのでは?との問いかけに、中村は否定も肯定もせず、「絶対ないとも言えない」と真顔で応えたのが印象的だった。

 

中村健太の写真は、その馬の尿の如く、一見、然したる事件が見当たらない。然し、図像の内に、不可思議な均衡を湛え、芸術としてころんと納まっている。そこが尋常ぢゃない。例えば、氏の祖母と思しき老嫗の写真群がある。白雪姬の礼装を纏い、自宅の居間の炬燵に這入って、電画を観乍ら、塵紙で鼻水を拭いて居る。左手には食べ終えた蜜柑の皮が握られ、背に居る猫は、茫然と彼方を見てゐる。この有樣が尋常でなく感じるのは、老嫗が礼装を纏っているからではない。孫が構図を企てる、写真機という非日常の面前で、平常と変わらず、娉 として過ごす老嫗の極めて自然な振る舞いに在る。其れは、一塵も俗埃いの眼に遮るものを帯びてはおらぬ。その見過ごされる筈であった日常は、礼装の装置を以て、より際立っている。真の美は、日常に在る。普遍ではあれ、少しく形骸化したその言は、此処ではじめて価値を新たにする。美しきものを美しく撮るのは意図も容易い。否、美しきものを、弥が上に、美しくせんと焦るとき、美しきものは却って其の度を減ずる。付け加えて、中村の写真には、放心と無邪気が漂っている。放心と無邪気とは、余裕を示す。余裕は画に於いて、詩に於いて、文章に於いて、必須の条件である。彼はその放心と無邪気を以て、世界の異なる見方を示す。

〝中村健太〟というカルチャーの逆輸入

さて、昨今、海を隔てた世界諸国において中村健太の名を頻繁に聞くようになった。直近では、世界的ブランド『PRADA』のプロジェクトがある。


Pradaはクラウドバストのリリースを祝して、写真プラットフォームの〈PhotoVogue〉とコラボ。シューウェイ・リュー、中村健太、クララ・ニーベリングという3人の写真家にこのスニーカーの撮影を依頼した。撮影場所はそれぞれの写真家にゆかりのある都市、〈開かれた街〉の上海、〈親密な街〉の福岡、〈夜の街〉のロンドン。まったく異なる3都市のなかで、写真家たちは各々独自のクリエイティビティを発揮し、新鮮かつダイナミックな視点でクラウドバストの魅力を写し出す。(出典:http://fashionpost.jp/fashion/fashion-news-event/146333

 

●中村健太(なかむらけんた) 1981年生まれ。写真家。北九州市若松と東京渋谷に拠点を持つフォトスタジオ株式会社ロブジェに所属。2016年イタリア版『VOGUE』が選ぶベストフォト100、「PHOTO VOGUE」のフォトグラファーベスト30に選出された。シリーズ「Your story」が注目を浴び、『It’s Nice That』をはじめ、さまざまなメディアで取り上げられた。 http://kentanakamura.com/

 

また、1919年、ヴァイマル共和政期のドイツ、ヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行ったバウハウスの、設立から100周年を記念してバウハウス協会から発行している雑誌「bauhaus now #3」に中村の「3Dメガネ」シリーズの作品が表紙を飾った。このように中村健太の活動はネット時代の良風に乗って、遠い海の優れた目利きたちに注目されている。2016年には、伊版「ヴォーグ」誌が選ぶベストフォト100、「フォト・ヴォーグ」のフォトグラファーベスト30にも選出。中でも、3Dメガネを装着した被写体を撮り下ろした作品「Your story」は国外で高く評価され、英国のカルチャー誌「DAZED&CONFUSED」や「It’s nice that」で、人と作品が取り上げられるなど、今後の活躍が一層期待される写真家の一人である。(出典・引用:「草枕」夏目漱石著)